大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

富山地方裁判所 昭和29年(ワ)59号 判決

原告 中村領策

被告 中村亥平

主文

被告は原告に対し、別紙目録甲記載の土地に付き富山地方法務局昭和二七年六月二三日受付第四二〇四号、第四二一二号、第四二一七号を以つてなされた保存登記中及び別紙目録乙記載の土地に付き同法務局同日受付第四二〇五号、第四二一八号を以つてなされた所有権移転登記中、被告の持分権二分の一とある各登記の抹消登記手続をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として

一、別紙目録甲及び乙記載の各土地(以下本件土地と略称する)は、原、被告の父中村平三郎の所有であつたが、昭和二六年一一月二六日同人が死亡したので、その子である原告及び被告においてこれを共同相続により取得したものとして、昭和二七年六月二三日、別紙目録甲の土地につき富山地方法務局同日受付第四二〇四号、第四二一二号、第四二一七号を以つて保存登記手続を、又別紙目録乙の土地につき同局同日受付第四二〇五号、第四二一八号を以つて相続による所有権移転登記手続をなし、右各登記上被告の持分権を二分の一とした。

二、しかるに、昭和二九年二月に至つて、原告は右平三郎作成の自筆証書の方式に従つた遺言書(甲第一号証)を発見したので、同月二二日これを富山家庭裁判所に提出し、検認を経たのであるが、右遺言書に依れば、亡父平三郎の遺産は包括的に全部原告に遺贈されていることが判明した。従つて、亡父平三郎の遺産である本件土地は、遺贈により原告の単独所有に帰したもので、原、被告の共同相続により原、被告の共有となつたことがないものであるから、前記各登記は実体を誤つてなされたもので、被告においては原告に対し同登記の中、被告の持分権二分の一とある登記部分を抹消する義務があること明らかである。よつて被告に対し、右義務の履行を求める為、本訴請求に及ぶ。

と述べ、被告の仮定抗弁に対し

一、被告は、本件遺言が被告に非行のあることを停止条件としたものであるところ、右条件は成就していないから、亡父平三郎より原告に対する本件土地の遺贈は無効であると主張するけれども、本件遺言が被告主張のような停止条件付であつたということは否認する。従つて、被告に非行があつたかどうかに関係なく、本件土地の遺贈は亡父平三郎の死亡の時から効力を生じているものである。

二、本件遺言において「亡父平三郎の遺産は包括的に全部原告に贈与相続させること、遺留分権者より遺留分の請求があつた時は、原告において請求の時から五年以上の年賦で金銭を以つて遺留分相当額を遺留分権者に支払うこと」の旨を定めていることは認める。被告は、右のような内容の遺言は被告の遺留分権を侵害するから無効であると主張するが、亡父平三郎の遺産を全部原告に包括的に遺贈することによつて、被告の遺留分が浸害されたとしても、これにより本件遺言が無効となることはあり得ない。たゞ、被告において本件遺言による遺贈につき受遺者である原告に対し減殺請求をなし得るに過ぎないものである。又本件遺言の前記「遺留分権者に対しては五年以上の年賦で金銭を以つて遺留分相当額を支払うこと」の定めも、亡父平三郎が、受遺者である原告に対し民法第一、〇四一条に規定する価額による弁償を勧め、遺留分権者である被告に対しこれに承服すべきことを希望した意味を有するに過ぎないものであるから、それを以て被告の遺留分権を侵害したと言い得ない。

三、被告の遺留分減殺請求は次の理由によつて失当である。

(一)  およそ遺贈の目的物が復数の場合、遺留分の減殺を請求するには、民法第一、〇二九条により遺留分算定の基礎となる財産の価額を算定し、遺贈の目的物から遺留分の価額に相当する限度で目的物を選択しなければならないのである。しかるに昭和二九年一二月二一日原告に到達した被告の準備書面において、被告は単に遺留分減殺の請求をする旨の意思表示をしているのみであつて、かゝる遺留分保全の限度及び減殺すべき目的物の選択をしないでなした意思表示を以つては、遺留分減殺の有効な意思表示とみることは出来ない。

(二)  仮りに、被告のなした右意思表示を以つて、遺留分減殺の有効な意思表示であるとしても、被告は右意思表示をした昭和二九年一二月二一日以降受遺者である原告に対し何等の権利行使をしなかつたから、民法第一、〇四二条により同日より満一箇年を経過した昭和三〇年一二月二一日を以つて被告の減殺の請求権は時効によつて消滅している。

と述べ、立証として甲第一乃至第五号証を提出し、証人麻柄太助、同中村正陽、同中村はなの各証言、原告本人尋問の結果、鑑定人大平正信、同蛇田知章、同兵藤栄蔵、同高村巌の各鑑定の結果を援用し、乙号各証の成立を認めると述べた。

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として

一、原告が請求原因として主張する事実の中、本件土地がもと原、被告等の亡父平三郎の所有であつたこと、同人が原告主張の日死亡し、その相続人は原、被告両名であること及び本件土地につき原告主張のとおりの各登記がなされていることは認めるが、その余の事実は否認する。

二、原告が亡父平三郎の作成した遺言書であるとして提出した甲第一号証は、原告又は他人が亡父平三郎の印章を冒用して偽造したものである。このことは次の事情によつて明らかである。

(一)  右甲第一号証には、亡父平三郎の遺産は包括的に原告に贈与相続させる旨及びその他原告にのみ都合のいいことばかりが記載されている。しかし、亡父平三郎は生前原告のみを偏愛せず、二人しかない子供の一人である被告をもいつくしみ、被告も又、亡父平三郎に対して孝養を尽くしていたのであるから、同人において右の如く被告に一物をも相続させないような偏頗な内容の遺言をするとは考えられない。

(二)  右甲第一号証に記載されている文言は、原告のような法律家(原告は弁護士である)でなくては書かない用語である。例えば「私の遺産は包括的に全部中村領策に贈与相続させる」、「五年以上の年賦で金銭を以つて遺留分相当額を請求者に支払せよ」、「右二人の遺族も亦同様であらねばならぬ」等は全く普通人の用語でなく、法律家でない六十才を越えた亡父平三郎が斯る用語を使用するとは到底考えられない。

(三)  昭和二七年六月二三日原告が被告と共同相続をしたとして本件土地につき共同相続登記をしておきながら、その後二年近く経て(亡父平三郎の死後約二年三箇月を経過後)から、原告において甲第一号証の遺言書を発見したということは、常識では首肯できないところである。もし亡父平三郎において、真実甲第一号証を作成したものであるとすれば、自己の死後速に遺言どおりのことが実現されることを望んでなしたものと考えるべきであり、従つで、遺言書である甲第一号証を自己の死後二年三箇月を経て漸く原告に発見されるような場所に置くようなことをする筈がないからである。

三、仮りに、甲第一号証の遺言書が亡父平三郎の作成に係るものであり、従つて、本件土地が同人より原告に遺贈されたものであるとすれば、被告は抗弁として次のことを主張する。

(一)  右遺贈は次の理由によつて無効である。

(イ)  亡父平三郎は、自己が死亡した後、万一にも被告において原告に迷惑をかけたり又は後足で砂をかけるような非行をすることをおそれて甲第一号証のような遺言書を作成したものである。従つて、右遺言書は条件付効力発生の遺言書で、被告に右のような非行のあつた場合に初めて効力を発生するものであるところ、被告には右のような非行がないから右遺言書による本件土地の遺贈はその効力を生じない。

(ロ)  本件遺言は、亡父平三郎の遺産は包括的に全部原告に贈与相続させ、被告の遺留分は遺産以外の原告所有の金銭で五年以上の年賦を以つて支払うことを命じて居るが、このような内容の遺言は被告の遺留分権を侵害するから無効で、本件土地の遺贈もその効力を生じない。

(二)  被告は遺留分減殺請求をする。即ち、被告は遺留分として亡父平三郎の財産の四分の一につき権利を有するから、同人の財産全部を原告に包括遺贈することは、被告の遺留分を侵害するものである。よつて、被告は昭和二九年一二月二一日到達の準備書面を以つて受遺者たる原告に対し、被告の遺留分を保全する限度で右包括遺贈を減殺する旨の意思表示をした。右減殺の結果、本件土地の四分の一の遺贈は無効となり、それは当然相続人たる被告の所有に帰し、原告は四分の三、被告は四分の一の持分の割合で本件土地を共有することになるのである。従つて、原告は被告に対し、本件土地に付き先になされた各登記中の被告の二分の一の持分権の割合を四分の一と変更登記すべきことを求めるのならば格別、被告の持分権二分の一の抹消を求める原告の本訴請求は失当である。

と述べ、立証として乙第一乃至第一四号証を提出し、証人久保文子、同松本三都正、同中村孝の各証言、被告本人尋問の結果、鑑定人兵藤栄蔵、同森末義影の各鑑定の結果を援用し、甲第三号証、同第五号証の成立を認める、同第一号証(同号証中中村平三郎名下の印影が同人の印影であることは認める)、同第四号証の成立を否認する、同第二号証の成立は不知と述べた。

理由

一、原、被告の父中村平三郎が昭和二六年一一月二六日死亡したこと、昭和二七年六月二三日原、被告は共同相続人として亡父平三郎の所有であつた別紙目録甲記載の土地につき富山地方法務局同日受付第四二〇四号、第四二一二号、第四二一七号を以つて保存登記を、別紙目録乙記載の土地につき同局同日受付第四二〇五号、第四二一八号を以つて相続による所有権移転登記を経由し、右各登記上被告の持分権の割合を二分の一としたことは当事者間に争いがない。

二、そこで、原告がその主張のように本件土地(別紙目録甲及び同乙記載の各土地)を原、被告の亡父平三郎より遺贈されたかどうかについて判断する。

原告が亡父平三郎の自筆証書による遺言書であるとして提出した甲第一号証につき、原告の請求により富山家庭裁判所が昭和二九年二月二二日右遺言書の検認をしたことは、被告において明らかに争わず、且つ弁論の全趣旨によつても争つていると認めるべき形跡が存しないから、右事実は被告に於て自白したものとみなされる。

ところで原告は、右甲第一号証は亡父平三郎の作成に係る真正の遺言書であると主張するのに対し、被告は右甲第一号証は原告又は他人が偽造したものであると抗争するので、此の点について先ず検討する。

(一)  右甲第一号証の作成名義人中村平三郎名下の印影が同人の印影であることについては当事者間に争いがないこと。

(二)  証人麻柄太助の証言により右平三郎の作成したものであることが認められる甲第二号証によれば、同人は昭和二三年五月二五日午後遺言書を作成している事実が認められること。

(三)  証人中村正陽の証言及び原告本人尋問の結果によれば、昭和二三年五、六月頃右平三郎は原告及び同人の長男正陽に対し、遺言状を作成し、原告、もし原告が平三郎より先に死亡すれば右正陽に全財産を相続させることにしたことを告げて居た事実が認められること。

(四)  鑑定人大平正信、同蛇田知章、同高村巌の各鑑定の結果によれば、甲第一号証の筆蹟が前記甲第二号証、証人麻柄太助の証言により真正に成立したと認められる同第四号証、成立に争のない同第五号証(何れも中村平三郎の自筆)の各筆蹟と同一であること、並びに鑑定人大平正信、同蛇田知章の各鑑定の結果によれば、右甲第一号証の筆蹟は、成立に争いのない乙第一ないし第五号証(何れも原告の自筆)の各筆蹟と異ることが認められること(鑑定人森末義影の鑑定の結果及び同兵藤栄蔵の鑑定の結果中右甲第一号証の筆蹟と成立に争いのない乙第七号証(中村平三郎の自筆)の筆蹟と異るという部分は当裁判所において採用しない)。

以上(一)乃至(四)の諸点と甲第一号証に記載された文言、作成日付等並びに証人麻柄太助、同中村正陽、の各証言中及び原告本人尋問の結果中甲第一号証の筆蹟が平三郎のものであるとの部分を綜合すると、甲第一号証は原、被告の亡父平三郎において自筆証書の方式による遺言書として作成したものであると認めるのが相当である。被告本人尋問の結果中甲第一号証が偽造のものであるという部分は信用しない。他に右認定を左右するに足る証拠はない。尤も

(一)  甲第一号証によれば、遺言として記載されたところのものは「一、私の遺産は包括的に全部中村領策に贈与相続させる、領策が相続開始前に死亡した時は中村正陽に右同様贈与相続させる、二、若し遺留分を請求する者があつても、堀川小泉町三五一の宅地及び此の宅地に存在する一切の建物、工作物、樹石は中村領策が相続せねばならない、正陽が相続する場合も亦同様である。三、前項の場合に於いては、領策若くは正陽は、遺産の評価額を基礎として請求の時から五年以上の年賦で金銭を以て遺留分相当額を請求者に支払せよ、中村平三郎家の不動産は決して分散させてはならない、四、動産は領策の購入したもので私のものではない、又私の購入したものでも、其の都度領策に贈与してしまつてあるから、私の動産は何もない、五、此の遺言の執行者を領策とする、六、亥平は領策の命に伏し、中村家の分散を防ぎ、領策は亥平を援助して血族の団結を計らねばならない、右二人の遺族も亦同様であらねばならぬ」の六項目であることが認められる。そして、被告のいうように右遺言の内容は原、被告等が等しく平三郎の実子であるに拘らず、その遺産の相続に干しひとり原告のみに厚い嫌いがあり、且つその用語には法律専門家でない普通人に習熟していないものがあることは認められる。しかしながら、証人麻柄太助、同中村正陽、同中村はなの各証言、原告本人尋問の結果によると

(イ)  原、被告の父中村平三郎は、幼年の頃火傷により跛となつたため、不具者にあり勝ちな偏狭な性格の持主となり、とりわけ人に対する好悪の区別が激しかつたところ、被告にはその行状において平三郎の忌諱にふれることが屡々あり、特に昭和二十一年頃被告において平三郎の勧めにかかわらず、遺伝性の精神病に罹患していた妻光子を離婚しようとせず、あまつさえ懐姙させたりしたので、被告に対し内心根強い不信の念を抱いていたこと。

(ロ)  平三郎は新憲法によつて変革された家族制度に対して批判的で旧来の戸主を中心とし、家督制度によつて維持される家の制度を可とする信念を抱いていたこと。

(ハ)  原告は、平三郎の長子で、昭和二〇年八月一日富山市の戦災でその住家が焼失するまでは、平三郎と共同の生活を営んでいたものであり、被告は、平三郎の末子(平三郎には原、被告の外になお四人の子があつたが何れも死亡)で、大学を卒えてからは原告や平三郎より独立した生活を営んでいたこと。

(ニ)  平三郎は、弁護士となることを志したことがあつた程法律を好み、六法全書を座右に備え、又日常弁護士である原告との接触により、法律的素養があり、且つ遺言ということについても相当の知識を有していたこと。が認められる(被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用しない)ので、前記のように甲第一号証の遺言の内容が原告にのみ厚く、なおその用語が法律専門家に習熟されたものであつても、同号証が平三郎の作成したものであるとの前記認定を左右しない。

(二)  次に冒頭に記述した当事者間に争いのない事実と証人中村正陽、同中村はなの各証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は、昭和二三年五、六月頃、亡父平三郎から「遺言状を作成し土蔵の中に置いてある、遺言状の内容は原告に全財産を相続させることにしてある」旨告げられていたのに拘らず、平三郎が昭和二六年一一月二六日死亡した後遺言状のことについて心をとめた風もなく過し、殊に昭和二七年六月二三日亡父平三郎の遺産である本件土地につき原、被告を共同相続人とする登記手続を経由しながら、その後一年八箇月を経た(平三郎の死後からすると約二年三箇月を経た)昭和二九年二月に至り、平三郎が死亡当時居住していた富山市堀川小泉町三五一番地の住宅土蔵の中の戦災の時に持込まれた鍋等が置かれてあつた中にあつた古い地図の中から甲第一号証を探し出したものであることを認めることができる。右原告の所為は、他に特別の事情の認められない限り、被告のいうように不自然であるとの感を免れないものであり、原告が弁護士である点を考慮すると一層その感を強められることは否めない。しかしながら、証人中村はなの証言及び原告本人尋問の結果によると、昭和二四年頃平三郎、原告及び被告等は共同して日新建設有限会社を設立し、土木工事の請負業を営み、昭和二七年初頃まではその事業が好調で、原、被告の間も極めて円満であつたので、原告としては平三郎の死後原告に一方的に有利な亡父平三郎の遺言状を探し出し被告の心情を害し、ひいては原、被告の共同事業の運営に好ましくない影響のあることを危惧し、その探索を控えていたものであること、昭和二七年初頃右事業が不調となつて原、被告の間に不和を生じ、原告が主として右事業を経営しなければならなくなつたが、事業は不振の一途をたどり、原告は事業運営の資金に窮するに至つたので、本件土地を担保として提供し銀行より融資を得る必要に迫られ、遺言状のこと等顧慮する余裕もなく、とりあえず銀行より融資を受けるために同年六月二三日本件土地につき原、被告を共同相続人とする登記手続を経た上、本件土地に抵当権を設定して銀行より金融を受けたこと及び原告は、被告との間が不和となつたので、遺言状を探す気になり、昭和二九年二月前記土蔵の中を捜索した結果甲第一号証を発見するに至つたものであることを認めることができ、右の事実によると、原告の前記所為については、これを首肯できる事情があつたものと認められるので、原告の前記所為は甲第一号証が真正なものであるとの前記判断を左右しない。

右のとおり、甲第一号証は原、被告の亡父平三郎において自筆証書の方式により作成した遺言書と認められるところ、同号証によれば、右平三郎はその遺産全部を包括的に原告に遺贈していることが認められ、従つて平三郎の遺産である本件土地も原告に遺贈されたものであること明白である。

三、被告は、本件遺言は被告に非行のあることを停止条件としているものであるところ、平三郎の死後被告に非行がないから本件遺言はその効力を生じていないと主張するが、およそ遺言が本件のように自筆証書によつてなされている場合、それが停止条件付のものであるかどうかは、遺言の要式性から考えて証書の記載内容自体のみに即して判断すべきものであると解すべきところ、前掲甲第一号証の記載内容を検討しても、本件遺言が被告に非行のあることを停止条件としているとは認められないので、右主張は理由がない。

四、被告は、本件遺言は平三郎の遺産全部を原告に贈与し、被告の遺留分については遺産以外の原告所有の金銭で支払うことを命じて居り、かゝる内容の遺言は被告の遺留分権を侵害するから無効であると主張するが、そして本件遺言において右の事項を定めていること前記のとおりであるが、被相続人において相続人の遺留分を侵害する遺贈をなしても、右遺贈は法律上当然には無効のものではなく、たゞ、右遺贈につき遺留分権利者において減殺の請求をすることができるに過ぎないものと解すべきであるから、右主張も亦理由がない。

五、次に、被告の遺留分の減殺請求について判断する。

昭和二九年一二月二一日の本件口頭弁論期日において、被告が準備書面を以つてその主張のような意思表示をし、右意思表示は同日原告に到達したことは本件記録上明らかである。

ところで、およそ遺留分減殺請求権を行使する場合減殺請求権者は、その遺留分を保全するのに必要な限度を指定し、その限度で減殺の意思表示をして始めて被相続人のなした遺贈等は右限度で無効となり、遺贈等の対象物件の所有権は減殺請求権者に帰属することになると解するのが相当である。してみると、前記昭和二九年一二月二一日の本件口頭弁論期日における被告の遺留分減殺の意思表示は、右に説示した遺留分保全の限度を明確にしてなされていないので、その効力を生じないものと謂う外はない。尤も、被告は、亡父平三郎の財産の四分の一という割合を主張し、これを以つて右遺留分保全の限度を指定したものと解していることが窺われるが、遺留分を保全するのに必要な限度は、民法第一、〇二九条、第一、〇三〇条に則り遺留分算定の基礎となる財産の価額に対するある割合で示すべきものであつて、右主張のような財産の価額に基づかない単なる割合を示したのみでは遺留分保全の限度を指定したものとはなし得ない。

右のとおりであるから、被告の遺留分減殺請求を前提とする抗弁は採用に値しない。

六、そうとすると、本件土地は、原、被告の父平三郎死亡の時である昭和二六年一一月二六日に遺贈により原告の所有に帰したことになるから、昭和二七年六月二三日本件土地が原、被告の共同相続による共有のものであるとし、別紙目録甲記載の土地につき富山地方法務局同日受付第四二〇四号、第四二一二号、第四二一七号を以つてなされた保存登記及び別紙目録乙記載の土地につき同局同日受付第四二〇五号、第四二一八号を以つてなされた所有権移転登記はいずれも実体と相違してなされたものであり、被告は原告に対し、右各登記中被告の持分権二分の一とある部分を抹消する義務があること明らかである。

よつて、原告が被告に対し、右義務の履行を求める本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 布谷憲治 家村繁治 木村幸男)

目録甲

一、申請受付第四弐〇四号の分

富山市小泉町字五百苅割 参五四番     宅地 弐拾弐坪

〃      〃    四弐参番の壱   〃  参拾弐坪参合弐勺

〃      〃    四弐七番の壱の弐 〃  拾八坪壱合八勺

〃      〃    参五七番の壱   〃  八坪

〃      〃    〃   の弐   〃  弐坪

〃      〃    〃   の参   〃  拾参坪

〃      〃    〃   の四   〃  壱坪

〃      〃    参五六番の弐   〃  五坪

〃      〃    参九参番の壱   〃  九坪

〃      〃    参五八番の壱   〃  壱百八拾八坪弐合五勺

〃      〃    参五六番の壱   〃  弐拾九坪七勺

〃      〃    参五七番の六   〃  弐坪九勺

〃      〃    参五八番の弐   〃  壱坪

〃      〃    四弐参番の六   〃  八拾坪五合弐勺

同 市同 町字古道割  六壱〇番     〃  七拾九坪

〃      〃    四四弐番     田  弐畝九歩

同 市同 町字五百苅割 四弐参番の弐   〃  壱反拾四歩

〃      〃    四参四番     田  壱反六畝拾壱歩

〃      〃    四弐参番の参   〃  弐畝弐拾歩

二、申請受付第四弐壱弐号の分

富山市堀川小泉町字古道割 七弐五番の壱  田    拾六歩

〃        〃   〃   の弐  用悪水路 拾八歩

〃        〃   〃   の参  田    九畝拾壱歩

〃        〃   〃   の四  〃    七畝弐拾九歩

〃        〃   七弐五番の六  用悪水路 八歩

〃        〃   〃   の八  〃    弐拾六歩

〃        〃   〃   の九  田    六歩

三、申請受付第四弐壱七号の分

富山市堀川小泉町字五百苅割 弐六参番   宅地 弐拾四坪

〃        〃    参五壱番の壱 〃  壱百八拾四坪

〃        〃    〃 の弐   〃  参拾参坪

〃        〃    参五弐番   〃  弐拾九坪

〃        〃    参五参番の壱 〃  四拾弐坪

〃        〃    〃 の弐   〃  弐拾七坪

同 市同   町字古道割  七四五番の壱 〃  拾七坪壱合五勺

〃        〃 〃      の弐 〃  壱百四拾八坪九合八勺

〃        〃    七五〇番の壱 〃  六拾弐坪四勺

同 市同   町字平均割  八五〇番の五 宅地 六拾参坪

〃        〃    〃   の四 〃  壱百参拾参坪七合六勺

〃        〃    〃   の六 〃  参百拾九坪八合参勺

〃       字五百苅割 参四弐番の壱 〃  九拾壱坪壱合

〃        〃    〃   の弐 〃  九合六勺

〃        〃    参四弐番の参 〃  弐坪六合

〃       字高堂割  参番の壱五  〃  参拾壱坪

〃        〃    七番の四   〃  弐拾八坪

〃       字五百苅割 八四番    田  弐反参畝弐拾五歩

〃        〃    参四壱番   〃  弐畝九歩

〃       字古道割  七四壱番の参 〃  弐歩

〃        〃    〃 の五   用悪水路 弐歩

〃        〃    七四七番   田  壱畝弐拾七歩

富山市堀川小泉町字平均割  八参四番の壱 田  拾弐歩

〃        〃    〃   の弐 用悪水路 弐歩

〃        〃    八四九番の壱 田  拾参歩

〃        〃    〃   の弐 用悪水路 八歩

〃       字五百苅割 参弐七番の壱 田  壱反八歩

〃        〃    〃   の弐 〃  壱畝七歩

〃        〃    〃   の参 〃  弐拾弐歩

〃        〃    参参九番の壱 〃  四畝拾六歩

〃        〃    〃   の弐 〃  五歩

〃       字高堂割  参番の壱   〃  弐畝弐歩

富山市堀川小泉町字古道割  四四五番の参 〃  弐畝弐拾六歩

目録乙

一、申請受付第四弐〇五号の分

富山市小泉町字五百苅割 参九四番の参 宅地 九坪九合壱勺

〃      〃    参五五番の壱 〃  九拾四坪

〃      〃    〃   の弐 〃  八坪

〃      〃    〃   の参 〃  百拾坪

〃      〃    〃   の四 〃  百拾四坪壱合

〃      〃    参九五番の弐 〃  四拾壱坪弐合参勺

富山市小泉町字古道割  四参八番の四 〃  八坪壱合壱勺

〃      〃    四五六番の参 〃  弐拾六坪弐合弐勺

二、申請受付第四弐壱八号の分

富山市堀川小泉町字五百苅割 壱九八番の弐 宅地 拾八坪九合壱勺

〃        〃    〃   の四 〃  七拾九坪参合八勺

〃        〃    弐弐八番の弐 宅地 壱百弐拾九坪四合六勺

〃        〃    弐六〇番の弐 〃  参拾七坪四合

〃        〃    弐参弐番の参 〃  四拾五坪参合

富山市堀川小泉町字平均割  八五六番の壱 〃  弐百五拾参坪壱合弐勺

〃        〃    〃   の五 〃  九拾八坪

〃       字古道割  七弐五番の五 〃  四拾参坪五合九勺

〃       字五百苅割 弐六〇番の壱 〃  九坪

〃        〃    〃   の参 〃  八拾四坪

〃        〃    五九番    田  拾五歩

〃        〃    六弐番    〃  参畝弐歩

〃        〃    六参番    〃  弐畝弐拾弐歩

〃        〃    六四番    〃  壱畝七歩

富山市堀川小泉町字五百苅割 六八番    〃  弐畝拾九歩

〃        〃    壱九八番の壱 〃  八畝弐拾七歩

〃       字古道割  四四四番   〃  弐畝拾弐歩

〃       字平均割  八〇壱番の壱 〃  壱畝歩

〃        〃    八弐八番   〃  壱反五畝八歩

〃        〃    八四七番の壱 〃  拾七歩

〃        〃    〃   の弐 〃  弐拾歩

〃        〃    八五七番の参 宅地 壱百七拾参坪弐合五勺

〃        〃    八四七番の参 田  五畝七歩

〃        〃    八五〇番の壱 〃  弐反五畝弐拾四歩

〃        〃    〃   の六 用悪水路 弐拾壱歩

〃       字五百苅割 壱〇〇番の壱 田  四畝拾歩

〃        〃    〃   の弐 〃  壱畝拾七歩

〃       字平均割  八五七番の壱 〃  壱反参畝拾弐歩

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例